1988年に相次いだ幼女誘拐が残虐的な結果に終わり、当時日本中を震撼させた宮崎勤。
現場検証につれられたところでは顔を隠す様子もなく、現場で指を刺して警察官に説明している姿も異様でした。
オタクが差別されるという社会現象まで巻き起こったこの事件。
事件が起こらなければ被害者はそれぞれ40歳前後になります。(2023年現在)
ここでは、この事件について以下の2点について説明しています。
①犯行声明文の画像と全文の内容をわかりやすく。
②両手首を本当に食べたのか?その理由について。
犯行声明文の画像と要点

声明文は朝日新聞東京本社に送られました。
経緯は1人目の被害者の遺骨の一部と衣類の写真などが入ったダンボールが遺族の自宅前に置かれ、捜査が難航する中、その数日後に遺骨は間違いなく被害者のものだと主張する内容。
声明文の中には二枚を並べて縦にコピーしたものも含まれ、差出人は子供を亡くした経験を持つ位女性『今田勇子』
ただ、子供を持った経験のある女性の文字にしてはクセが強すぎる気がします。


その全文はあらゆるサイトでそのまま載せられていますが、何せ長い・・・
誤字脱字もそのまましっかり転載されているのでここでは『今田勇子』を名乗って書かれた声明文の要点をまとめます。
声明文入りダンボールが置かれた経緯

1988年8月埼玉県入間市に住む当時4歳の女児(名前は画像内)が行方不明
1989年2月6日深夜に行方不明女児の自宅にダンボールに入った骨片と写真などが届く。
段ボール内の写真は女児の着衣と思われるもの。
(写真・腰に2本のラインが入ったピンクの半ズボン・ポケットに絵が入っている・お姫様の絵がプリントされたピンクのサンダルの爪先部分)
警察はこの時骨片を被害者のものではないと発表したりそれを撤回したりと混乱。
1989年2月10日朝日新聞東京本社に事件当時の詳細な内容と骨片は本人のものと何度も訴える声明文が届く
声明文の内容【事件の全容】

差出人は所沢市の今田勇子
8月22日入間ビレッジ8号棟裏に車を止めた
そこはプールから親の送迎なしに行き帰りする子どもが多い。(子供を物色してた)
M(被害者)ちゃんが兄弟2人で出てきたが、別々に歩き出したので後をつけた
Mちゃんは水着のままだったので家が近いと推測した(つけ回す距離が短くて済むため)
家に着いて行ったのは母親の顔を確認し母親と一緒にいるところを狙うため
(母親と一緒にいることに安心して少しでも離れた隙を狙うつもりだった)
ところがMちゃんがすぐに家から出てきたため計画を変更
少しMちゃんを自由に歩かせ自宅からの距離を遠のかせ、歩道橋を渡りそうになったところで先回りし、歩道橋の上で声をかけた
自分が女性だからか警戒されずに話が進み、自分の車に乗せることに
「私が、車のクーラーを先に行って、かけているから、少したったら来てね。」といったがMちゃんはすぐに来て社内へ。
目撃者は全くいなかった
Mちゃんが自分をどこにつれて行くのかと聞かれることにヒヤヒヤしながら車を走らせていたが、「私、泳ぎたいの。」と言い出した
「おばさんもちょうど、川へ行きたかったところなの。」と口を合わせ走っていたが雨が降り出したので「雨が降ってきたから、入間川じゃない川へ行こうね。」と、さらに団地から遠のくことが出来た
一緒に出歩いた当時Mちゃんの髪はプール上がりで濡れていたのでテレビや新聞でMちゃんの捜索願いの写真を出しても髪型が違うから誰も分からない
川でMちゃんを泳がせてる間Mちゃんを見守るよりも周囲にわたしたちを見てる誰かがいないかどうかが気になっていた。
誰もいなかったし、来そうにもなかったら異様に胸が高まりモヤモヤしてきた
自分は子供が産めないくせに目の前に自由な子がいる
「このまま 真理ちゃんを家に帰しては…」「今なら誰も見ていない」という考えが入り混じりMちゃんを川へ沈めた
その最中はモヤモヤして何が何だかわからなくなった
Mちゃんの苦しむ顔を見ずに生かせるように数分水面から顔を出させなかった
その後Mちゃんを隠すために背丈異常ある茂みへ抱っこして持っていって置いて逃げた
遺体を自宅に連れ帰った訳ではない
ダンボールを置いて以降、犯人が遺体を隠し持っているという報道は嘘
Mちゃんがまだ見つかっていないという報道を見てあのままなのかと思った
行こうか行くまいか悩んだが、Mちゃんの母親が寝込む寸前だと聞いてMちゃんに悪いことをしたと思っていただけだったが可哀想に思えてきた
その後Bちゃん、Cちゃんの事件が起こり、自分の事件に触発された誰かが面白半分に起こした
テレビで父親が「(死んでいても)早くみつかって良かった。」と話してるのを見て決心した
遺体を自宅に運ぶつもりが骨だけになっていたので悲鳴をあげそうになった
もう関わりたくないと逃げかけたが、骨なら箱に入る。一眼につかず運べるどうにかして両親に知らせたい
骨になっていなかったら自宅に帰す気は起きなかった
(※気味悪さの表現として句点を無くしています)
声明文の内容【狭山警察署へ向けて】

まず、狭山警察署の発表は、誤りか、あるいは、理由あっての口実です。 私が届けた骨は、絶対に真理ちゃんの骨です。
では、順を追って説明します。
狭山警察署長は、報道陣に対し、口実を使っているし、分かっていることを全部の 内、隠しているところを先に述べます。
私が送った写真にはTシャツは写っていません。警察で写真を見せてもらえば証明されます
B4の紙ではなく、B5の紙で送ったのでこれも証明されます
警察は母親がショックで気絶しないように隠している
父親が知り得ない、自分と母親だけが知ってるMちゃんの特徴
サンダルの絵柄・しわくちゃのパンティー
写真を公開しないのはMちゃんの両親に見せない為
歯医者が鑑定していたが、歯医者は歯だけを鑑定する人で骨を鑑定する人ではない
「Mちゃんの歯であることは断定できない。」と発表しただけで「Mちゃんではない。」とは言っていない
歯医者も自分が治療した歯はないと言ってるだけ
恨みやいたずらや嫌がらせ・挑戦などと言われ、私がゲームを楽しんでいると騒ぎまくっているが誤解
ただMちゃんを返しただけ
早くMちゃんのお葬式をあげてやってください。
署長は上層部に写真を見せても下のものには見せてない筈
捜査を一からやり直させる目的もあるとおもう
警察の発表が報道されることで辻褄が合わないことが私にはわかる
この手紙の目的はMちゃんのお葬式をしてあげて欲しいから
母親が警察から誤報を聞き「これでまた待つ希望が持てました。」と話しているのを見た時に、これは、きちんとすませてあげなければいけない。このままでは、本当に永久に、真理ちゃんに気付かずに、家族は一生を終わってしまうと思い、これだけはと、急いで声明文を送った姿第です。
あの骨は、本当に真理ちゃんなのですよ。
今田勇子は宮崎勤の中の人格
今田勇子は所沢市在住の子供を持てない女性という人格が宮崎勤の中にいるという仮説含みの精神鑑定が行われていました。
今でもこの事件について発表された研究論文もたくさんあります。
全てを網羅するとかなりの量・・・そして精神分野の闇の深さに浅瀬で溺れそうな程の情報量です。
その推測の一部を抜粋すると、
宮崎勤は、今田勇子を通して自分自身を客観的に見てたのではないか?
今田勇子は宮崎勤の中に混在する自分の不注意で子供を亡くした経験を持つ女性。
犯行は亡くした子供のために同年代の友人を送るため。
ただ『しわくちゃのパンティー』と表現するように、子供のパンツをパンティーと表現する女性って謎です。
個人的には『パンティー』というワードだけのことですが、今田勇子が全て偽装に見えてしまいます。
宮崎勤は2008年6月17日に45歳で極刑が科されていますので、これ以降その頭の中を覗き見ることができる人は誰1人いません。
事件はその残虐さでシリアルキラーとも呼ばれた宮崎勤の混沌とした頭の中と共に、理解できない多くの謎が残り余計に後味が悪いですね。
宮崎勤は本当に両手首を食べた
1989年6月6日・当時5歳の女児Dが4人目の被害者になりました。
宮崎勤は、このDの両手を焼いて食べたと宮﨑は罪状認否で話しています。
本人が教術していますが、検察は自己の異常性を強調するため虚偽の事実を述べたものだと論告で主張しました。
結果、判決では検察側の主張を認め、宮﨑の主張する食人行為は虚偽の疑いとされています。
まさか人肉を食らうなんて人として信じがたい、信じたくない心情が判決に出たのでしょうか?
この点についても宮崎勤の供述のみで、警察署の鑑定がどうなったかは闇の中のようです。
宮崎勤は幼少期から手首が動かない『両側先天性橈尺骨癒合症』で不憫さを抱えながら成長しています。
そんな宮崎勉を可愛がってくれた祖父を独特な方法で、弔う儀式として手首を食べたと言われていますが、
この手首が動かなかったこととの関連は無視できないのではないでしょうか。