身内人事とも言われる岸田内閣ですが、岸田首相の秘書官を務めていた、息子・翔太郎さんのやらかしにより、たった8ヶ月ほどで辞職(事実上更迭?)後任は、山本高義氏に任されると発表されました。山本高義氏が岸田総理秘書官を務めるのは今回で2回目。
息子の翔太郎氏にその席を譲った間は岸田総理事務所で政策秘書を行っていました。
ここでは山本高義さんの経歴と顔画像、生い立ちについて見ていきたいと思います。
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大学4年生の時、初当選を果たしたばかりの岸田の事務所でアルバイトとして働き始めた。卒業後も事務所で働くことを選び、政策秘書や外務大臣秘書官として29年間にわたり岸田を1番近くで支えてきた。
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政治マガジンの記事は岸田内閣が発足した2021年のものになりますので、現時点で30年以上岸田総理と苦楽を共にしてきたことになる山本高義氏。初当選を果たしたばかりの岸田文雄氏の事務所でアルバイトを始めたとありますので、1993年に大学4年生(現役と仮定)とすると1971年4月〜1972年3月生まれと思われます。
現在51歳もしくは52歳。
実家は岸田首相と同じ広島県なんだそうです。
山本高義氏の出身校は広島県にある私立崇徳高等学校。
2000年以降はは中高一貫校になっている私立崇徳高等学校ですが、広島県内で4番目に古い歴史を持つ学校なんだそうで、その偏差値は60前後と言われる県内屈指の進学校です。そんな進学校でも山本氏の成績はもちろん上位だったのでは無いでしょうか?
それを証拠に、明治大学に進学しています。明治大学は言わずと知れた難関校です。
しかも山本高義氏は文武両道で、学生時代は円盤投げの選手としても活躍していたそうです。
写真がマスク姿で顔がよくわからないものしか見つかりませんでしたが容姿は『大柄でこわもて』
そんな山本氏が岸田氏の政治活動を手伝うには大きな理由がありました。(最後までお付き合いください)
1993年頃・大学4年生で岸田事務所でアルバイトを開始1994年・大学卒業と同時に岸田文雄事務所で本格的に働き始める2021年・岸田首相の政務秘書官に任命2022年・岸田首相事務所政策秘書
2023年・再び政務秘書官に任命
総理大臣秘書官は合計8人で構成されるそうです。大まかには政務秘書官2名・事務秘書官6名山本高義氏は政務秘書官になります。
同じ秘書官でも、事務秘書官と一線を置き、さらに岸田総理に近い存在と言えますね。
岸田文雄氏を総理大臣にすべく尽力してきた様子がわかるエピソードも披露されています。
岸田派のベテラン秘書は「山ちゃんはずっと『岸田を総理にしたい』と言いながら、パーティー券の1枚1枚を頭を下げて売り続けてきた」
1994年から、岸田文雄氏が総理大臣に任命された2021年まで岸田首相の手となり足となり働いてきた様子が窺える一文ですね。
岸田総理も山本高義氏に対しては喜怒哀楽をはっきり表すほど心を許しているそうです。
ここまで山本氏が岸田総理に尽力するのには訳があります。
山本の父親は小学生の時に、広島で被爆し、その後も体に大きなケロイドが残った。岸田が掲げる「核兵器のない世界」の実現に向けた思いは人一倍強い。
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出典・清水建設
広島県出身の山本高義氏のお父様は小学生の時に広島で被爆し、体にケロイドが残ったそうです。
広島に原爆が落ちたのは1945年。山本高義氏のお父様は当時小学生だったということなので、現在お父様は80代半ばということになりますね。山本高義氏はお父様が35歳ごろのお子様と思われますので、もしかしたら上にご兄弟がいる可能性もあります。そして、父の被爆体験が現在の仕事にもつながってるということは、お父様が大好きなのだと思われます。末っ子で三十代半ばで授かった男の子で、成績も優秀。とても大切に育てられた感じがありますね。
成績優秀な学歴と信念のある経歴を持つ山本高義氏の兄弟も気になります。
もう一つ、山本高義氏の結婚などの家族情報に関しても現段階では見受けられません。FacebookなどのSNSも見当たりませんでした。
現在52歳前後の山本氏ですので、既婚と考えるのが一般的な気もしますが、SNSが見当たらない所にも仕事一筋だったんだなと想像させられます。
ここでは翔太郎氏に変わり再び岸田首相の政務秘書官に任命された山本高義氏の経歴や生い立ちについてお知らせしました。
政務秘書官は基本的に一般人にあたりますのであまり情報は多くありませんでしたが、まっすぐな性格であるという印象が伺えます。
翔太郎氏のおふざけ写真の話題はもういいので、せっかくのG7の評価を後につなげる政治が行われるといいですね。
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