2022年のM~1の審査員に、上沼恵美子さんに代わり選出された山田邦子さん。若いこの間では、「誰?」「知らない」の声も上がっています。最近では『水曜日のダウンタウン』でYouTubeやってるめんどくさい先輩という認識はあるようですが、まさにこれがジェネレーションギャップです・・・しかし、山田邦子さんを知らない世代がいるのは仕方がないんですね。
山田邦子さんがテレビで大人気を博したきっかけと、長らくテレビに干された理由をまとめました。
学生時代はいわゆる『面白い子』フワちゃんと被ると言う意見もありますが、フワちゃんのキャラとは全く違います。何というか、生まれつき芸人だったオーラを持つ人で、キャラで物怖じしないわけでもありません。山田邦子さんの中で若い頃から筋が通ったことしか笑いにしない人当時のお笑いは台本なんてあってないもののような番組づくりも今とは違うところです。
1960年6月13日生まれ東京都荒川区出身 B型モノマネ・コント芸人現在はYouTubeの動画配信や小説家としても活動川村中学・高校在学中から周りを笑わせ、
素人勝ち抜き戦を経て有名になった芸人
校内であるあるモノマネを披露しては周りを笑わせ、学校内では知らない生徒がいない存在になりました。そんな中、高校1年生の女の子・山田邦子が、西城秀樹さんのモノマネで、『TV ジョッキー』で爪痕を残すと、当時、素人参加型のお笑い勝ち抜きの番組で『とんねるず』と並んで勝ち抜いていきます。面白いだけじゃなく、モノマネとしてもクオリティがしっかりしています。この頃の鉄板ネタは『バスガイド』人気に火がついたのは『オレたちひょうきん族』
物怖じしない、全力で笑わせにかかる。コンプラなんて言葉もない。
テレビが面白くも常に今で言う炎上の場ような時代に、
破茶滅茶なお笑い界で、男性芸人の間でも引けを取らない唯一無二の女芸人でした。
人気絶頂で冠番組も持つ山田邦子さんに暗雲が出始めたのが1992年の『邦ちゃんのやまだつてないテレビ』の降板騒動ここでは裏でスタッフを気遣う山田邦子さんの人物像も報じられたのですが、その後の視聴率低下に伴い、山田邦子さんを良しと思っていなかった勢力が動き出します。
1995年夏頃からは、連打で山田邦子バッシングが続きます。
週刊現代『山田邦子 大借金と人気凋落出寒すぎる夏』週刊女性『嫌なやつとは思ってたけど…やっぱりカンにさわる女!! 山田邦子マンネリどこが好感度No.1なの?』女性自身『この10人なぜ女に嫌われる!? 山田邦子お騒がせ熱愛宣言グセ』週刊現代『結婚宣言も落ち目の話題作り 山田邦子はテレビ界一の「悪女」』女性セブン『なぜかムカつくこの女たち 山田邦子』
女性自身『女に嫌われる女上位20人のなぜ? 山田邦子 あの顔で面食い、ただの浮かれ女』
今なら見た目を揶揄するような報道はNGですが、『あの顔で面食い」とか、当時は週刊誌も今より過激です。
山田邦子は嫌われ者と書くと週刊誌が売れたことはよくわかります。山田邦子さんに対して、『嫌い』と言う感情をなかり煽っていますね。
そしてとうとう、1995年の12月には、FOCUSが、『山田邦子が惚れた男 自宅に泊らせる44歳TVプロデューサーとの深い仲』と、山田邦子さんのスキャンダルを報じます。
人気低迷期に報じられたスキャンダルのお相手は妻子持ち44歳のプロデューサーで、1995年11月には『ゴッズダイナミックワールド』を立ち上げ社長になった後藤史郎さん
この記事を受けて、山田邦子さんはリポーターに追われることになりますが、腹を立てた山田邦子さんは井上公造さんに対し、暴言を放ってしまいます。
「お前もてないだろう!バカじゃないの?」
このシーンがテレビで放送されたのと、度重なるバッシング記事で好感度1位の人気女芸人だった山田邦子さんは、もちろんのこと好感度圏外に・・・レギュラー番組の降板、冠番組も次々打ち切りになりました。
当時井上公造さんの好感度は結構低かったですし、リポーターといえば梨本勝さんや、東海林のり子さんが人気でしたから、何だか必死の井上公造さんにもアンチが多かったのですが、さすがに好感度が下がり調子だった頃の罵倒。正論(ごめんなさい)とはいえ、山田邦子さんはこの後数年に渡りテレビ業界から見向きもされない状態に陥ります。
たまにデュ津園があってもコントなどを披露することはほとんどなかったので、Z世代は山田邦子さんを知る由もありません。
物怖じしない、忖度しない山田邦子さん。M~1でどんな審査員を務めるのか楽しみですね。現在は沼津市と帯広市の観光大使を務めたり、東京都青少年名誉健全育成協力員など、有識者な活動も見られます。
もちろん年齢とともに丸くなった印象もありますが、山田邦子さんの良さや、らしさがどこまで出るかも注目が集まります。
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