漫画家で、現在はコメンテーターとしても活躍していたと思いましたがあまり見かけない『くらたま』こと倉田真由美さん。
コロナ禍で悲鳴を上げる医療従事者への批判投稿が話題ですね。
独自の考えや主張を包み隠さずいう性格は昔からですよね。
漫画の作風も自虐的ですが面白いですし、倉田真由美さんの意見には賛否両論はあるものの、
裏表のないまっすぐな性格のなせる技のような気がします。
ここでは倉田さんが築き上げたご家族について、
そして大先輩・西原理恵子さんとの関係について見ていきたいと思います。
1971年7月23日福岡に生まれる
1971年7月23日に福岡県福岡市で育った九州女児。
小学生の頃は修行を積んで空を飛びたいと思っていたそうです。
昭和の子供の発想って、倉田さんに限らずこんな感じだったと思います。
ツツジが咲けば積んで蜜を吸ったり、魔法使いになると張り切って修行していた子もいました。
もちろん普通に?プロ野球選手や保母さんを夢見る子供もいましたが・・・
小学生の時は空を飛ぶことを夢に見た倉田真由美さんも、成長に伴い空を飛ぶことは諦め、
高校時代は漫画を描いて過ごしたといいます。漫画を描くことは元々好きだったんですね。
大学受験のために上京した際は、漫画の原稿を持って受験そっちのけで出版社巡りをしたそうです。
第一志望?には不合格となりますが、一橋大学商学部に合格し、入学しています。
大学では勉強や漫画はそっちのけで、恋愛まっしぐらだったようです。
のちに漫画のネタになる話もたくさん経験できたようです。
ただ、漫画は好きだけど、絵が下手なのを自覚していて、漫画家の夢は諦めた時期もありました。
1999年結婚・男児を出産
最初の結婚生活は長男をもうけるも、2年弱で破綻しています。
最初のご結婚相手は編集者さんだったそうです。
仕事の話で意気投合し、結婚を焦っていた時期だったこともあり、慌てて結婚した結果失敗したとご本人が語っています。
編集者の男性とは、いざ結婚してみると意見が合わないことが多く、毎日喧嘩が絶えなかったそうで、
どれだけ離婚したかったかというと、慰謝料や養育費を一切請求しないほどだったようです。
そのため、まだ生まれたばかりの息子さんを福岡のご実家に預け、単身東京で仕事に勤しみます。
週に一回は福岡へ息子さんに会いに行ってたそうです。
それでも、一番可愛い時期に結構長い期間離れていたようですね。
親子別居生活は母親にとっても、子供にとってもなかなか辛い時期だったのではないでしょうか。
2009年・叶井俊太郎氏と再婚
2003年に、映画関係のパーティーで友人の中村うさぎさんに紹介され、叶井俊太郎氏と出会います。
その後何の進展もないまま、5年後に再会し、意気投合した倉田真由美さんと叶井俊太郎さん。
叶井俊太郎さんは大手では無いからこその強みを持つ配給会社で、海外の映画を買い付け宣伝する仕事をしていました。
2001年公開の『アメリ』は叶井氏が買い付け、16億円の興行収入を得たとも言われています。
そんな叶井氏と再会し、2009年7月に再婚より先に妊娠を公表した倉田さん。
同年9月に叶井俊太郎さんと晴れて入籍します。
その後、小学校4年生になったいた息子さんも東京に呼び戻し、家族4人となっての生活が始まります。
2010年・息子福岡に戻る

倉田真由美さんの息子さんは、2009年の再婚を機に東京で一緒に生活することになりましたが、
博多弁が抜けず、東京の小学校に馴染めず、食い気味で父親として接してくる叶井氏には何でも相談していたようですが、
そこは叶井氏のお話なので、息子さん本人がどう思ってい他のかは不明ですね。
そして、倉田真由美さんの息子さんは、懇願の末1年程で福岡の祖母の元に戻っています。
倉田真由美さんは、息子さんが福岡に戻ってからも、学校行事には参加していた様子をブログに載せています。
内容は息子さんのことよりも、息子さんの活躍を見る場への批判的な話が多いですけど・・・(汗)
残念なことに、そんなブログも息子さんが中学校を卒業した2015年3月で止まっています。
2022年現在は息子さんが23歳くらい、叶井氏との間のお嬢さんも11・12歳くらいですね。
叶井俊太郎さんはバツ3のだめんず

『アメリ』で成功を収めたアルバトロスを退社し、2004年にファントム・フィルムの代表取締役に就任し、2005年に退社。
2005年にトルネード・フィルムを設立するも、2008年には大赤字。2010年には3億円の負債を抱えて倒産しています。
しかもこの頃、3番目の前妻から2000万円の損害賠償請求を起こされています。
この損害賠償には倉田真由美さんも関わっているところから、前妻との婚姻関係中に交際していた時期があるのかもしれません。
叶井俊太郎さんは600人の女性と交際したとの噂もあり、自身も「モテ男」を公言しています。
倉田真由美さんと結婚前後はほとんど働いておらず、多額の借金を抱えて結婚し、自らを「モテ男」と称する。
一般的には『だめんず』ですが、倉田さんは見捨てることなく、経済的にもサポートし2020年には心筋梗塞をいち早く疑い受診させたことでことなきを得ましたね。
周りがどう思おうが、ご夫婦の中は本当にいいようです。
西原理恵子とは不仲なの?
倉田真由美さんも西原理恵子さんも自身の体験をギャグ漫画にするといった作風ですが、
倉田さんが漫画家を目指したきっかけは西原理恵子さんだったそうです。
一時期は画力の無さに漫画家への道を諦めかけたことがある倉田真由美さん。
西原理恵子さんの作品を見て、「この程度なら私にも書ける」と思った事が再度漫画家への道を目指すきっかけになったんだとか。
それに対して、西原さんが返したのが前出のTwitterの画像です。
ただ、画力については、「西原さんの方が全然うまい」とも話しています。
この2人には何処となく共通点が多いんですよね。
好きになった男性との関係や、子供との微妙な距離感
出身地も近からず遠からずで、西原さんは高知県出身の土佐女。
そして、何より倉田さんも西原さんも共通の所得隠しというキーワードを経験しています。
倉田さんは2006年に、1800万円ほどの所得隠しを指摘され、修正申告後、600万円の追徴課税を支払って解決しています。
一方、西原さんは2003年に発刊された『できるかなV3』内で『脱税できるかな』で税金1億円を値切ったお話をされています。
ここでも倉田真由美さんとは話のスケールが違うので、倉田さんは西原理恵子さんと不仲どころか、尊敬してるかもしれませんね。
何となく西原さんと倉田さんはルックスも似ている気がしませんか?
最近はNOマスク生活を訴える
2006年から有識者会議のメンバーになって以来、民主党との関わりが深くなった倉田真由美さん。
批判のために故・安倍晋三氏が漫画に時折出てくることでも有名ですね。
最近は反ワクチンや、反マスクの声も高らかです。
コメンテーターとしての倉田真由美さんを見かけなくなったのにはこういった事情があるかもしれませんね。