山の牧場・・・タイトルだけでは何が怖いのかわからないお話は、『新耳袋・第4夜』で紹介された実際にあった怖い話。中山市朗さんが山の牧場にたどり着いたのは1982年。山の牧場を訪れて以来、次々起こる不思議な巡り合わせに17年間もの間、文章にするのをためらったそうです。いや、何かに怯えて文章にできなかったという方が正しいのかもしれません。そんなオカルト界を震撼させたお話を、いよいよ『世界なんだコレ!?ミステリー』が取り上げます。番組が迫ったのは牧場所有会社のA組合・・・その地名から朝日牧場と名付けられているようですが、(朝日牧場は確かに廃墟のようですが、山の牧場の現場というには相違点があります)現在持ち主の代表者とは連絡が取れません。ここでは、まるで作りかけの牧場の様な建物がある、『山の牧場』その山はどこにあるのか?不自然なことだらけのその牧場の様子とは!?山の牧場を仲間と共に体験した中山市朗氏の話はなぜ怖いのか?について見ていきたいと思います。
中山市朗氏は当時オカルトに興味が無いない大学生。大阪芸術大学映像計画学科に通う中山氏は、映画監督に憧れ、卒業制作の映画作りをしようとロケ地を探していた時に山の牧場に辿り着きます。
山の牧場にたどり着いたのは1982年の8月。
その異様な光景に違和感を感じながらも、あちこち散策した時の様子を『新耳袋』で文章にしたのは1999年。
ただ、この山の牧場(朝日牧場)は1970年台に建設されたとの説もあります。中山氏を含む大学生4人で出向いたときは建設から5年ほど建ったような印象だったのだとか。中山氏は、1982年以降この山の牧場には数度にわたって訪れることになります。その度に、この牧場にまつわる事情は変化していきます。
結果的に山の牧場との出会いが、中山氏をオカルト作家の道へ進ませるきっかけになるのですが・・・。
中山氏の周りには実は山の牧場だけでなく、UFOにまつわる奇妙な話が多く、身の危険を感じることもあったようです。
山の牧場はUFOと何か関係があるのでしょうか?
ことの始まりは中山市朗氏が大学4年生の時、卒業制作のフィルム映画を撮ろうとある村を訪れます。昭和30年台の都市伝説のような、怪談のようなファンタジー映画を撮るのが目的でした。
映画のタイトルは『残照』(?)(ざんしょう)
撮影地は、中山氏の生まれ故郷とありますので、山の牧場の場所は必然的に兵庫県の朝来市ということになります。
祖父が住んでいた古い家屋なども撮影場所に利用したそうです。
映画自体の撮影は終わり、地元の友人を運転手に含み、4人で村の俯瞰図・風景や特徴的なモチーフの撮影のために現地に残ります。当時の朝来町の道は、農道用にアスファルト舗装がされていました。いい撮影ポイントを探していわゆる農道を進むと、道の横手に細いながらもしっかりした山へ繋がるような道を見つけます。もちろん山へ上がっていくのだろうとその道を進むことにしますが、前からトラクターでも来たら交わしようもない、車一台がやっと通れるほどの山道。引き返すにも、Uターンできる程道幅に余裕はありません。仕方なくその道を進むと少し広い道になり、置かれたドラム缶に白いペンキで『あと50メートル』と書かれています。「あと50メートル行ったらなんかあるんか?」といいながら進んだ先で、これ以上は車では入れないというところに辿り着きます。仕方なく車を降り進んだ先で目にしたのは、赤く長い屋根の建物。その建物は一目で普通の家ではないとわかる建物でした。
赤い長い屋根の建物は2棟あり、リゾートホテルか何かを建ててる途中に頓挫したようにも見えたんだとか。
赤い屋根の長い建物を覗くと、牛舎らしき設備があったのでその場所は牧場だったのかということになったようです。ただ、そこに人の気配はなく、牛舎も使われた形跡が無かったそうですが、新築にも見えなかった・・・そして、山の牧場はその地名から『朝日牧場』という正式名称があったそうです。
場所は兵庫県朝来市和田山町朝日・・・
Googleマップのの上空写真だとこんな感じです。
ちなみに、私事ですが、兵庫県出石へそばを食べに行った帰り生野銀山へ向かう道中『山の牧場』と同じような山道に迷い込み、沼地の真ん中に立つ祠を数回右に見たところで同じ道を通ってることに気が付き、怖くなった経験があります。2時間ほど同じ道を通るのを繰り返し(Uターンもできない山道。倒木もある、ぬかるんだ道を3回目に見た時は絶望しましたが、
2時間ほど彷徨って、不思議と生野銀山に到着。残念ながら博物館は閉館していたという、あの経験は何だったのか・・・
『山の牧場』の奇妙な光景をまとめました。
建物の中には簡単に入る事ができた。牛舎は、かなりの牛が飼える大きさで鉄柵はピカピカ
作業用らしき溝にも藁一本落ちていないので、牛を飼った形跡はない。
建物自体は建ってから4〜5年経ったのかな?という感じ。
上を見上げると屋根の真ん中が直径2メートルほど丸く凹んでいる。何か大きな鉄球でも落ちて湾曲した感じ。外に出ると、牛舎にあと30センチほどでぶつかりそうな場所でキャタピラーがそこまでつけたであろう轍の上でひっくり返ってる。牛舎の横には、L字に位置するようにもう1棟の2階建の長い建物が建っている。
(相違点・上空写真で確認すると並行して並んでいるようにも見えます)
扉はなく一階部分には石灰が山積み。建物内には実験室のようなものもあり、フラスコやビーカーが割れて散乱している。
2階に宿舎のようなものがあるが階段がない。外階段もないが2階には明らかに部屋がある様子。
建物の裏の赤土の山から何とか2階に侵入するとただただ長い廊下。何にもつながっていない廊下があり、一箇所だけ扉に繋がっていて、6畳の畳の間があった。その部屋にはいろんな人形が仰向けに倒れている。部屋の押入れの扉が倒れていて、その下にも仰向けの人形。雛人形・市松人形・キューピー人形やリカちゃんのようなものまで。その部屋には壁一面の御札が貼られていて、貼りきれない御札の束も置いてある。襖には上に大きく『たすけて』と書かれているが、そのペンキはどうやら『あと50メートル』と書かれたものと同じペンキ隣にはフローリングの部屋。同じく人形がたくさん倒れていて医学書が置かれている。壁にはこの世で見た事がないが、文字だと分かるものが壁一面に描かれている。置かれたメモ帳にも同じ謎の文字と、子供が書いたような人間の絵に、その部位を説明するような謎の文字。
建物の外の崖には水道管が裸で張りついている。水道管の下部からは確かに水が滴り落ちているが、その上部は破損している。なぜ水が滴っているのかが不明。
下の事務所には板張りの床に入口より大きな170cmを超える巨石が置かれている。石の上は平べったくなっており、おままごとのように茶碗などが置かれている。トイレや台所、水道管はあったが建物内に水場が一切無い。
細い山道を通ってその建物を建築する事はほぼ不可能で、そんな不便な場所に牛を運ぶ施設を作るのも奇妙。
道だけの問題なら、中山市朗氏達が通った道とは別の道があると考えれば済む話ですが、途中にあったドラム缶の道標・・・
何より、水回りが一切ないので、人が住める環境ではない。
そんなところにペンキで「たすけて」と書かれていたり、明らかに人と、人では無い?何かが居た様子ですね。
(注・場所が気になる方が多く、場所特定サイトも乱立していますが、廃墟探検は危険ですので興味の範囲に留めてくださいね)
山の牧場の話だけなら、異世界や、異空間に迷い込んだようなお話ですが、山の牧場にはそれに関連するかのような後日談があります。
そして、中山市朗氏の話の中には、山の牧場にたどり着く伏線のようなお話もたくさんあります。
中山氏の友人で、UFOの写真を撮った少年の謎の失踪。
北海道へUFOの写真を撮りに行ったときに声をかけてきた黒づくめの2人組・・・
もともと映画監督を志望していた中山市朗氏が一連の話をドラマ仕立てで作り上げてるとしたら、既に映画化されててもおかしくないですし、シリーズ化しそうな程ストーリーとしても緻密です。 中山市朗氏の口伝えで本当かどうかわからない不思議な体験の数々が謎で、実在する映画『M I B(メン・イン・ブラック)』も何かしらのモデルがあったのでは?という考察・・・
都市伝説のようなジャンルの話って、作り話にしては出来すぎてて奇妙ですね。
知れない、という妄想を具現化してくれるかも知れないというドキドキ感があの話には低重音のように響いていて、それが大切なのでは? と考えてる。だから、若者は楽しめてるのかなあ? どうなのだろう。
— 鄙野のうさぎ (@nousonnotanjou) April 10, 2021
筆者自らも不思議体験をいくつか持ちますが、昨年注目した記事はこちら
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