新潟でクマ狩りに出た猟師5人の不審死【日本版ディアトロフ峠事件】紫の手とは? | プレTALK

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新潟県に残る怪事件について2023年2月15日放送の『世界のなんだコレ!?ミステリー』が取り上げます。

1887年(明治20年)4月16日付の新潟新聞に『怪しき最後』というタイトルをつけられたという未解決事件の話です。新潟県南魚沼郡清水村から、クマ狩りに出かけた5人の屈強な猟師が不審死を遂げた話に迫ります。5人が出向いたのは利根川の源流あたりの山。1887年4月1日に入山していますが、4月といえどそこは豪雪地帯。雪山での遭難だったのか?10日経っても帰らない猟師を心配したそれぞれの家族が捜索を依頼。5人が見つかった時は残念な事にすでに死亡していましたが、その姿は捜索にあたった警官も思わず目を背ける異様さだったそうです。単純に遭難や、なんかしらの事情での凍死?雪崩でも起こらない限り5人揃っての不審死はなんとも不可解です。

明治に起きたこの事件に残る、もう今後一切解決することはないであろう謎についてお伝えしたいと思います。

阿部五郎平・阿部勝五郎・阿部正吉・小野塚文造・小野塚文吉の5名が入山したのは1887年の4月1日入山時には食料として約30キロの米を持ち、清水峠から利根川源流部あたりに入山したと見られています。

出典・Googleマップ
群馬県の山々

この辺りの山々は、4月の初めにはまだ雪が深く残る地域で、5人が入山した翌日の4月2日と、6日には大雪が降ったことが記録されているそうです。入山前は天候も安定していたので、想定外の大雪に見舞われて入山早々に遭難したような印象も受けます。ただ、発見時は米が半分ほどになっていたらしく、約15キロのお米を5人の男性が食していたことになるので、何日くらい生存していたかという目安になると思います。現在では1日に3回米を食す人でも2合(300g)程度あれば良さそうですが、

おかず事情や、クマ狩りに出るほどの男性が食すとしたら、1日に3合ほどは要りそうと仮定して、一日450g×5人=2250g 約6日半ほどは生存していたことになります。 実際は事件が起きた(死亡した)と推測されたのは入山から4〜5日が経った頃のようです。10日後に捜索の末、遭難と単純に考えるには無理がある場所、つまり昔から熊の猟場として利用されているスポットで5人は遺体で見つかりました。猟のリーダーとされる男性は仮小屋の中で上半身裸で床に伏せるように。もう一人は小屋から約100mほど離れた場所で仰向け。他の3人は小屋から約130m〜150mの地点でそれぞれ仰向け。

皆が上半身裸で、手だけが紫色に変色しているという状況

熊が出没する地域にも関わらず、遺体は無傷。

遺体が無傷で見つかった理由は入山から6日目に降った雪が遺体を覆い隠し、動物などに傷つけられずに済んだのではないかとされています。

そして、おそらく現代では考えられないほど現場検証は軽く終わった後、遺体は検死に送られる事もなく(当時そのような技術がなかった)遺族に引き渡されました。

・雪崩説

それぞれの遺体が微妙な距離感で位置していた為、雪崩の可能性も考えられましたが、仮小屋は無傷。雪崩の可能性はありません。

・トリカブト中毒説

食事に用意した粥の中に新芽のトリカブトを入れた可能性も考えられましたが、猟師が薬草などに無知なわけもなく、吐瀉物もない為、中毒の可能性は極めて低いとされています。

・一酸化炭素中毒

小さな山小屋で5人の男性がひしめき合って火を焚いたことによる一酸化炭素中毒で、それぞれが苦しくなって小屋から出た為、バラバラで発見された可能性も考えられましたが、一酸化炭素中毒の死亡時は顔の血色がよく見えるそうで、手だけが紫に変色することは考えにくいとされています。

・二酸化炭素中毒

火山や温泉地帯での二酸化炭素中毒による事故はこれまでも報告されています。火山地の硫黄水素で山菜取りに来た女子中学生の死亡も報告されているそうですが、手だけが紫になるという事例は見当たらないようです。

・矛盾脱衣

雪山での遭難などで凍死の時によく聞かれる『矛盾脱衣現象』体温低下に伴う意識障害が原因で暑いと感じ、小屋の外に出て上半身裸になったと考えられています。「なぜ上半身裸に?」という謎にはこの矛盾脱衣が説明としてはしっくり来ます。

矛盾脱衣については、現段階でもそのメカニズムは解明されていませんが、まるで体が燃えるように熱くなるという話もあります

過去に日本でも37件の報告が挙がっており、世界中の雪山などで定期的に報告されています。別名で「逆説的脱衣」とも呼ばれ、その解明が現在でも進められているそうです。
https://fundo.jp/304951

ただ、手だけが紫になるという事例は残されていません。

1959年1月23日、ロシアのエカテリンブルクにあるウラル工科大学の学生9人とスポーツ指導員1人のグループ計10人が、スキーと登山をしに厳寒のウラル山脈の大自然に分け入った。〜中略〜それからの数カ月間、雪が解けるにつれて、捜索隊はぞっとするような遺体を発見していった。9人の遺体はいずれも山の斜面にあったが、不可解にも服を脱いでいたり、頭蓋骨や胸部を激しく骨折していたり、眼球がなかったり、舌が失われていたりしたのだ。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO68742440S1A200C2000000/

ディアトロフ峠事件も謎多き事件として、現在でも陰謀論やUFO説などいろんな憶測が飛び交う事件です。この時に見つかった遺体の多くは濃い茶褐色に変色していたとされていますが、この時も矛盾脱衣の痕跡があり、皮膚の色は日焼けによる変色とされています。遺体は長いもので事件から3ヶ月ほど経って見つかったものもあり、写真は白黒。まるでミイラのような状態に見える遺体もありました。たくさんの仮説が立てられてるディアトロフ峠事件ですが、

手だけが紫という記述は一切見当たりません。

新潟県の猟師5人が不審死とされるのは、この手の色が解明されていないからだそうです。ただ、カラー写真もなければ、現存sづる記述は発見した人の口伝えしかないので、もしかしたらご遺体は全体に変色していたかもしれませんし、

捜索者が発見時の衝撃でご遺体の手だけが印象に残り、まるで怪事件のように言い伝えられてるかもしれませんね。

『世界のなんだコレ!?ミステリー』の過去の謎はこちら

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