【顔画像】市川猿之助の愛した俳優Xは石橋正高・恋愛関係では無くお互い片思い? | プレTALK

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市川猿之助さんの名前が朝のニュースで世間を驚かせたのは5月18日。第一報では何があったのか?と思いきや、事件の概要しかわからずじまいでしたが、数日経ってまさかの遺書まで報道されています。ご両親の遺書は「さよならたかひこ(猿之助さんの本名)」両親を道連れに一家心中を図ったのは『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』の真っ只中。代役に市川團子さんを立てて続行していることにも歌舞伎界の強固さを感じます。ところで、未婚の独身男性で資産を残す人がいない市川猿之助さんが遺産の受け取りを指定した俳優Mとは・・・誰でどんな関係だったのでしょうか?

0126db6f-a3ff-4731-9d2f-de9600bd1b69-8177014 出典・Twitter

「猿之助さんが見つかった場所のすぐ近くに、スケッチ用のキャンバスが壁に立てかけられた状態で、床に置いてありました。そこには、〈愛するM(*イニシャル。実際には猿之助さんと交流があった知人の名前)大好き。次の世で会おうね〉という内容が書かれていました」

 また自宅にはこの遺書の他にも、自身の財産の相続についての“書き置き”が残されていた。

「そこに書かれていたのは、親族ではないMさんに財産を相続させるという内容でした。猿之助さんは独身で妻や子もおらず、自身の財産を最愛の人物に譲渡しようとしたのだと思われます」(同前)

文春オンライン

東スポでは俳優Xと報道されていますが、文春ではそのままイニシャルのようです。このイニシャルを巡って、Mとは誰か気になってる方も多いようです。

Mさんと呼ばれる人物は第一発見者のようです。

事件当日に現場から119番通報したマネージャーというのはこの俳優のことと思われ、救急車で段四郎さんらが搬送された後に現場で泣き崩れていたのを報道陣にも目撃されています」(社会部記者)

集英社オンライン

市川猿之助さんのマネージャーをしながら俳優業をしていたようです。また、市川猿之助さんは以前より自身の共演者としてこの俳優さんを懸命に売り込んでいたそうです。

その俳優さんの写真がこちら

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写真の人物は2月に博多座を終えた後の石橋正高さんです。

石橋正高さんのインスタグラムでは正高さんが運転する車で移動中に楽しく過ごす猿之助さんの様子も投稿されています。

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『この曲がかかると、自然に体が動くみたいです。その様子をこっそりお届けします🤫』

そして、映像がターンすると音楽に合わせて手を動かす猿之助さんの姿が。

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石橋正高(いしばしまさたか)本名同じ1979年4月6日生まれ神奈川県横浜市出身AB型

1998年より俳優活動

石橋正高さんが歌舞伎の作品に出演するようになったのは、俳優の父が関係しています。

父親は石橋正次さんで、四代目市川猿之助さんの誘いで『スーパー歌舞伎Ⅱ』を皮切りに出演、その縁で市川猿之助さん関連の舞台を手伝うようになったようです。

それまでもドラマなどに数本出演していますが、2021年には市川猿之助さんの口利きもあったのでしょうか?
市川猿之助さんが出演する『ミヤコが京都にやって来た!』の最終回に出演しています。

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父親は石橋正次さんという二世俳優で、2007年には小柳ルミ子さんとの婚約を発表し話題になりましたが、4ヶ月後に婚約破棄。ちなみに父親の正次さんは歌手としても1972年(正高さんが生まれる前)にシングル『夜明けの停留所』が大ヒット。同年に小柳ルミ子さんも『雪あかりの町』で三枚目のシングルを発売するなど、同時代の音楽界で活躍しています。

小柳ルミ子さんとは27歳の年の差で、当時は1989年に13歳年下の大澄賢也さんと12年の結婚生活に終止符を打って数年。また年下男性?と小柳ルミ子さん中心に話題になりました。

結果的に息子のような石橋正高さんの『甘え』が原因で報道時点では既に破局していたそうです。

甘え上手な年下男性というわけにはいかなかったですが、当時石橋正高さんは28歳。現実的に55歳の女性を好きになるかは不明ですが、石橋正高さんにとっての恋愛対象は男女問わず、世間に何と言われようが人間的に好きになった人が好きという自分に正直な生き方の人なのかもしれませんね。

奇しくも次は市川猿之助さんの騒動で久々に石橋正高さんの名前を聞くことになりましたね。

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市川猿之助さんといえば、SixTONESのファンを公言しています。得意にジェシーは猿之助さんの推しなので、SNSではMはジェシー?との噂も飛び交うほどでした。

文春の報道では、スケッチ用のキャンバスに『愛するM(名前)』と書かれていたそうです。

イニシャルだけにすると何だか変な感じですが、『愛する正高』に置き換えると愛するの意味合いがいろんなふうに受け取れる気がします。

弟子として、マネージャーとして、一人間として広い意味で石橋正高さんを愛していたように思います。一方、石橋正高さんのInstagram投稿などを見ても、猿之助さんを見る目は「自分が1番のファンです!」という雰囲気。お互いに敬愛していた様子が伺えますが、恋愛関係という一線を超えた雰囲気はありません。

また、石橋正高さんの母親は、取材に以下のように答えています。

「昨日の猿之助さんのことがあってから子どもとは連絡がとれていません。歌舞伎関係のお仕事もしているとは聞いていましたが、猿之助さんの身の回りの世話までしていたとは聞いていません。猿之助さんはとても素晴らしい方だと聞いていました。舞台でもご一緒しており、兄のように慕っていました」

集英社オンライン

「猿之助さんはとても素晴らしい方だと聞いていました」44歳の男性が母親にまで話すくらい、石橋正高さんがかなり猿之助さんを慕っていたことがわかります。また、市川猿之助さんの方も、石橋正高さんと恋愛関係にあったとしたら、他のスタッフへのセクハラは行わなかったのではないでしょうか?

市川猿之助さんを知る方が猿之助さんの性格について

「子供の頃から人付き合いがよく、頭のいい子供だった。大人になってからも、周囲に気を遣う優しい人だった。 ただ、気が小さくて、自分の思い通りにならないと、怒鳴り散らしたりすることはあった。起伏の激しい人ですね。打たれ弱い一面を持っていただけに、何かあったのかな……」

FRIDAYデジタル

周囲に気を使う気が小さい起伏が激しい

打たれ弱い

生涯独身を公言していた猿之助さんは自分の性格を一番知っていたかもしれません。誰か1人としっかり向き合うことは比較的苦手だったのではないでしょうか。

なので、石橋正高さんのことは信頼して可愛がっていたとしても、恋愛のような関係にはなかったものと思われます。

8b215f03-78e9-4db4-89a6-2a26d76cf1a6-9331261 出典・dマガジン

市川猿之助さんが今回の苦渋の決断に至ったキッカケの記事は6月1日号(5月18日発売)の『女性セブン』の記事です。


当たり前ながら稽古の厳しい歌舞伎の世界で叱咤しながら稽古する背景に行きすぎたものがあるとの指摘と、猿之助さんによる男性へのセクハラがあったような内容。
この記事が発売されることは事前に事務所などを通じて本人が知るところであったことは容易く推測できますが、報道を止められ無いと知った時点で、石橋正高さんに「愛する正高」と伝えたのでは無いでしょうか?それは本当に大切に思っていたよ。という告白のような気がします。一方、石橋正高さんは純粋に市川猿之助さんを人間的にも慕っていた様子。大切に思っていたけど世間が憶測するような関係だったとしたら2人で楽しくしてればよかっただけの話のような気がします。パワハラだけに留まらず、セクハラの話まで出てしまったことを気に病み、両親と行動をともにするほどということは、単なる浮気ならそこまでならないと思われますので、猿之助さんは誰とも恋愛関係になかったことが窺えますね。

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